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Questions あなたの国の廃棄のためのPCB国外移送について。行っているのならその場所
カナダ 行っていない。 −1990年のPCB廃棄物輸出規制(PCB Waste Export Regulation)、1922年の危険廃棄物の輸出入規制(Export and Import of Hazardous Wastes Regulations[SOR/92-637])および1989年の有害廃棄物の越境移動およびその処分の管理に関するバーゼル条約(Basel Convention on the Control of Transboundary Movements of Hazardous Wastes and Their Disposal)(カナダは1992年に批准)の下で行っていない。

国外移送は、1989年に起こった事件が最後−イギリス(ポニープール、ウェールズ)へ輸出を試み失敗に終わった−である。この試みはグリーンピースや港湾労働者によって阻止された。

興味深いケース:
1990年のPCB廃棄物輸出規制(PCB Waste Export Regulations)ではアメリカとカナダの二国間協定が認められ、PCB廃棄物がアメリカ国内での処分目的でカナダから返却されることが許可された。それまでEPA(米環境保護局)の下でアメリカはPCB廃棄物の輸入に対して門を閉ざしてきた。

1994年12月、PCB廃棄物の制限付き輸出入を許可するため、米環境保護局はPCBに関する規制を改正することを提案した。そしてカナダへの告示なしにアメリカはオハイオ州のSDマイヤーズ社にカナダのPCB廃棄物の輸入を1995年11月15日から許可した。

カナダはCEPAの下、PCB廃棄物をアメリカに輸送することを停止するよう、PCB廃棄物輸出規制(PCB Waste Export Regulations)を改正する暫定的命令を作成し、バーセル条約(Basel Convention)のもと法的に行動することを試みた。

この試みは失敗に終わった。1995年には、カナダからのPCB輸出の15か月の禁止が、北米自由貿易協定(the Minimum Standard of Treatment provisions of the North American Free Trade Agreement[NAFTA])第11章の処理条件の最低基準を破ったとして、アメリカのPCB廃棄物処理会社(SDマイヤーズ)によって損失利益として2000万ドルの請求されることとなった。この結果、アメリカはPCBの輸出入に対しもう一度その門を閉ざしてしまうこととなった。
オーストラリア 正式な管理過程が整備される前に約700トンのPCBが国外廃棄された。おそらくイギリスに送られたものと思われる。
台湾 している。フランス(EMC company, リヨン近郊のSaint Svlbas にあるプラント)。
マレーシア -
日本 NO.
処理目的で輸出されていないが、製品として5318トンが輸出されたと見積もられている。しかし、輸出先に関する情報は、環境省も十分把握できていない。
韓国 -
香港 -
中国 いいえ。PCB廃棄物の海外への輸出はありません。
インドネシア -

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