中国共産党の党員数が「1億26万人に達した」というニュースを見て、上海対外貿易大学言語学院で中国語を学んでいた時に、お世話になった黄微香先生(当時25歳)を思い出しました。
重点大学に指定されている重慶大卒の黄先生の授業は独特のオーラがあり、それに惹かれて度々食事に誘いましたが、断られました。後で判ったのは、チベット族であるため、雇用で差別され、低賃金なので、ご馳走のお返しが出来ない、というのが理由でした。
その黄さんが、「黄家が貧乏から抜けだすには、親族の一人が党員になることが最善です。2年間ひたすら党員を目指して努力してきました。でも、試験に落ちた」と、泣きながら訴えたことがありました。
想像を絶する狭き門
中国は2015年末に一人っ子政策を廃止しましたが、それでも人口減少が続いていて、昨年末は14億800万人で、前年から139万人減少して14億の大台を割る寸前に至っています。
ところが、人口減少が続いているのに、党員数はここ数年、年間約100万人の割合で増加しているのです。入党希望者の数は、年間約2000万人。晴れて入党が叶うのは約5%ですから、日本で政党に入党するのと比べれば、想像を絶する「狭き門」です。
中国共産党規約では、共産党員になる条件の第1は18歳以上の中国人民であること、第2が党員2人の推薦を得ることです。
その2つをクリアすると、入党に向けて党規約を学習し、審査のために定期的に報告書を提出し、合否が決定するのです。
ところが黄さんは、「少数民族は大きなハンディがある。なかでも、ウイグル族、チベット族、モンゴル族に対する共産党の警戒心は極めて強く、党員審査で明らかに差別し、排除している」と怒っていました。
党が悩む少数民族独立問題
中国共産党も、大きな悩みがウイグル、チベット、内モンゴルの独立問題です。
1921年7月5日、13人で結党宣言し、共産党国家の建国を志した共産党は国民党政府との闘いで、54の少数民族を味方にする戦略を執りました。
清朝政府の時代から脅かされ続けてきたウイグル、チベット、内モンゴルに対しては特に力を注いで、共産党は中国統一の際には「独立国家」として支援すると約束して味方に引き入れたのです。
しかし、1949年に共産党国家が実現すると、約束を棚に上げ、軍事力で中国に編入しました。
こうした経緯があるからウイグル、チベット、内モンゴル族の人々は共産党を信じていません。
共産党も、彼らを騙し、彼らの財産や文化を奪い、反抗する人を虐殺してきた歴史があるので、彼らを恐れ、差別するのです。
農民のためから富裕層に
結党100年余の間に、共産党は党員数だけでなく、質的にも大きく変貌しました。
上海の結党宣言では、共産党を労働者階級の前衛と位置づけました。13人の結党メンバー全員がマルクスを学んだ知識人で、その半数近くが日本留学経験者でした。知識人が貧しい農民のために革命を目指す、と宣言したのです。
共産党の対国民党との戦いが進むなかで、農民が戦いに参加し、農民主体の党となって建国し、大躍進政策、文化大革命へと続きました。
ところが、1979年に始まった「改革開放」政策は共産党の土台である党員を農業労働者から「富裕層」へと、歴史的な大転換を迫りました。
鄧小平の「黒ネコでも白ネコでも、ネズミを捕るのが良いネコだ」宣言は、毛沢東の大躍進政策や文化大革命に傷ついていた中国人をカネ儲けに走らせ、1980年代後半には「万元戸」と呼ばれる大金持ちが続々と現れました。
2000年代に入ると経済成長は中国全土に熱狂のように広がり、中国は「世界の工場」と呼ばれるほど発展しました。
経済の発展は中国社会に巨大な格差を生みましたが、共産党は平等な社会を目指さず、資本家を積極的に党員として取り込みながら、オフィスで働く高収入のホワイトカラーを党員に引き入れ、大胆に変貌しました。まさに「王朝の復活」です。
格差社会が拡大し、今の共産党員は、富裕層の代名詞、と言った方が的を射ているようになったのです。
優秀な人材を入れて組織強化
この変貌を知ると、普通の日本人は党是であった「農民の前衛」は、どこへ行ったのかと、疑問を持つに違いありません。
ここは日本人も、中国人に習って発想の大転換が必要です。
日頃、私を含めて「中国民主主義人民共和国」という言葉を使うことがありますが、中国は建国してから1度も本当の選挙をしたことがありません。
地方共産党の代表を5年に1度、北京の人民大会堂に集めて 儀式 として選挙をするだけです。
これは日本人から見ると「茶番」に見える光景ですが、皇帝権力の奪い合いが中国文化の神髄、と知れば納得するでしょう。
実際に今の共産党も、水面下で権力闘争を続けているので、それが表面に出てくることがあります。
中国共産党は「超巨大企業」であり、習近平氏は、その「社長」と見たら、優秀な人材を入れて組織強化を狙うのは当然だと、共産党の変容を理解できます。