代表小若順一が月刊誌に連載していた「安全基金の活動と考え方」です。
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ベトナム戦争の英雄に学ぶ 安全基金の活動と考え方(95)

食品と暮らしの安全基金代表 小若順一


 10月4日、ベトナム戦争の英雄ボー・グエン・ザップ将軍が亡くなりました。
8月25日にハノイの病院で102歳を迎えたとき「長寿を祝ってくれてありがとう」という直筆サイン入りカードが、 家族から来訪者に配られたと報道されたところでした。

 ザップ将軍は、100年近く支配されていたフランスからベトナムを解放するため、 ベトナム共産党が1930年に設立されたとき、人民軍の司令官になりました。
当時のベトナムは、武器の保有が禁じられ、軍需産業はなく、中華民国は共産党を敵としたので、 棒、槍、刀、弓、火縄銃でフランス軍と戦い、武器を奪いながら戦力を増強していったのです。
 第2次大戦の末、侵略した日本軍にフランスが敗北すると、フランスを味方につけて日本軍と戦い、 1945年9月2日にベトナム民主共和国の樹立を宣言。ところが、再植民地化を狙うフランスが軍事侵攻。  大砲も戦車も飛行機も持たなかった人民軍はゲリラ戦で戦いながら、徐々に実力をつけ、 54年に要塞ディエンビエンフーを包囲して陥落させ、その名采配から、欧米では「赤いナポレオン」と呼ばれました。
 こうして北ベトナムは独立を達成しましたが、南ベトナムをめぐって今度はアメリカとベトナム戦争を戦うことに。 ザップ将軍は、南ベトナム解放民族戦線を指揮し、75年にサイゴンを陥落させます。 南北ベトナム統一後は、副首相兼国防相に。 そのベトナムを、知識人の大虐殺を行ったポルポト政権が75年に攻撃。ザップ国防相はカンボジアへの侵攻に反対し、3年ほど和平の道を探ります。 ところが、さらなる大攻撃を受けたので、78年12月にカンボジアへ侵攻。2週間でプノンペンを陥落させました。
 ポルポト政権を支持していた中国は、虚を突いて79年2月にベトナムへ侵攻。 これに備えてザップ国防相は、精鋭軍を配置しており、中国の大軍を撃破。1ヵ月足らずで撤退に追い込みます。
 フランス、アメリカ、中国に勝ったのですから、ザップ将軍は、20世紀で最高の軍事指導者であり、最高の戦略家といえます。 「三国志」の英雄である諸葛孔明に勝るとも劣らない実績を上げた実在人物がいて、私たちと同時代に生きていたのです。

 ザップ将軍の実績を、市民運動に置き換えると、状況に合うように戦略を練り、戦術を磨き、正しいテーマで運動を行えば、 現代でも、人間の想像が及ぶ範囲のことはできる可能性があるということです。
 今は成果を挙げられないでいる運動でも、よくよく考えてチャレンジし直せば、成果を挙げられると考えましょう。 ウクライナの実情を見れば、日本ですでに健康被害が出ていることは明らか。それが、ストレスのせいにされています。
まず、学校給食の放射能を少なくして、子どもを健康被害から守らねばなりません。
 次は、福島と周辺地域の農家に、危険性のある農作物を生産していることを認識してもらい、国から手厚い補償を獲得して、村ごと非汚染地域へ移住してもらうことです。
 そして、原発を廃止させ、子孫に負担を残さない社会にしていきましょう。


2013年11月1日発行 No.295より

安全基金の活動と考え方(96)「TPPを逆手にとって農業改革を」

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