代表小若順一が月刊誌に連載していた「安全基金の活動と考え方」です。
   >>最新   >>バックナンバー
clear
「原発事故に備え決死隊の創設を」 安全基金の活動と考え方(76)

食品と暮らしの安全基金代表 小若順一


 大事故が起きそうになったら、現場の労働者が命懸けで事故を防ごうとします。
ガス会社や化学会社でタンクに異常が見つかったら、命のリスクがあっても直しに行きますし、 スーパーや飲食店で火事が起きたら、お客の全員が逃げたことを確認してから、従業員は逃げるのが当たり前。 消防士やレスキュー隊は、火事の現場や災害現場に入って逃げ遅れた人を探し、毎年のように殉職者が出ています。 船が沈没しかかったとき、船長は最後に船を離れるルールですが、船長を支える船員も、乗客を救助のボートに乗せ終えるまではボートに乗れません。 人命にかかわる事故が起こると、職業人は、まず部外者を助けて、それから逃げるのです。

 これに反したことを行ったのが、福島第一原発の職員と、東京電力の経営陣、それに原子力安全保安院です。
 爆発を恐れた菅直人首相は、専門家の意見を聞いて、東電にベントを迫りましたが、ベントは遅れに遅れました。
「放射線量が高くて近づけない」というのが、その理由です。
結局、菅首相が原発に乗り込んで20分もやり取りし、吉田昌郎所長は意を決したように「決死隊をつくってでもやります」。 それから1時間以上たって、吉田所長はベントを指示。しかし、ベントから1時間後に1号機は爆発しました。
さらに3号機、4号機、2号機と爆発。この間に、原子力安全保安院は福島市に逃げ出し、東電も総撤退を官邸に要求。 これは、菅首相に一喝されて取りやめになりましたが、東電は放射線許容量で自社の従業員を守ろうとしたのです。
 一方、100万人もの福島県民が、人の入れない放射線管理区域に相当する汚染の中で暮らすようになり、少なくとも数千人がガン死を運命づけられました。

チェルノブイリ原発事故のとき、ソ連政府は決死隊を組織して強い放射線を出すがれきを取り除き、軍隊を動員して燃える黒鉛炉にコンクリートを注入しました。
もし、黒鉛の火を消さなかったら1ヵ月は燃え続け、高濃度汚染で住めなくなる地区がヨーロッパ全域にできました。
軍人や消防士は、多量の被曝による急性症状で、数十人の死者が出ました。
動員された20万人は、長期的にも健康が心配され、彼らには住居、高額の年金、医療費の無料が保証されましたが、ソ連は国が崩壊し、約束の一部は反故に。 日本政府の被災者への約束も、同様になる懸念があります。
 日本では、もう原発を再稼働させる動きが起きており、読売新聞と産経新聞は再稼働を進めるように論陣を張り始めました。 しかし、再稼働させる前に、今回の体験を踏まえてすべきことがあります。 各原発で少なくとも100人の決死隊を決めておき、重大事故が起きたときは放射線量にかかわらず、収束に向けて作業するという契約を交わしておくことです。 肝心なときに「逃げる」と言う電力会社に、決死隊の義務を負わせずに原発を運転させたら、次の事故で国がつぶれます。


2012年4月1日発行 No.276より

安全基金の活動と考え方(77)「精製食品が美味しい理由」

>>考え方TOPへ

>>月刊誌バックナンバーへ
 
>>組織案内へ
 
トップへ 先頭へ
 サイトマップ  |  よくいただくご質問  |  プライバシーポリシー  |  お問い合わせ 

©2012 NPO法人食品と暮らしの安全基金