東電と政府を訴えた井戸川前双葉町長

福島原発事故・体調悪化は井戸川さんだけ?
   (月刊『食品と暮らしの安全』2016年12月号No332掲載)


東京電力が引き起こした原発事故は未だに、誰の責任も問われず加害者ゼロのまま。
「民をだまし、大地と海を汚した東電と政府に責任を問う」と
前双葉町長・井戸川克隆さんが2015年5月20日に提訴しました。

 2011年3月11日、東日本大地震が発生したとき、井戸川克隆さん(当時65歳)は富岡町での用事を終え、双葉町に戻るときでした。 原発から3.6qの役場に着いたのは15時30分ごろ。  17時過ぎに災害対策本部を設置。会議のあと、20時ころから近隣公民館や小中学校に設置された避難所を見て回りました。 福島県が20時50分に出した原発2km圏内からの避難指示は、避難所にいた、その地域の住民から聞いて知りました。
 実は、17時に、官邸から自衛隊宛に原発から放射能が漏れたことを知らせるファックスが届いていましたが、そのことは井戸川さんや住民には知らされていません。 政府は21時23分、原発から3km圏内の避難指示と10km圏内の屋内退避を指示。
 12日5時44分には、原発から10km圏内の住民に避難指示を出します。 10km圏内の避難指示を受けて、井戸川さんは役場で対策会議を開き、川俣町への避難の了解を取り付けてから、防災無線で川俣町への避難を呼びかけたのは7時。 約6800人いた町民のうち約3500人が避難しました。
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● 降り注ぐ放射性物質
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 12日13時ころ、役場に置いていた線量計の数値が急に上がり始めました。1号機建屋が爆発したのは15時36分ですが、
その直前に漏れたか、ベントが行なわれたからです。
 1号機爆発の1時間前、写真家の石川梵さんが空撮した写真で、1号機の排気筒からの白煙が確認できます。 この白煙の風下で、井戸川さんたちが避難誘導に当たり、ストレッチャーに乗せられた患者が避難途中でした。
 警察官から「町長、限界ですよ」と耳打ちされ、役場からの最終退避の指示を出したのは14時すぎ。
 井戸川さんはタイベックという白い防護服を着ていましたが、全面マスクではなく、付けていたのは病院で使うサージカルマスクでした。 20人ほどいた警察官は全員、防護服に全面マスクを着用していましたが、約30人の自衛隊員は通常の迷彩服のまま、マスクもしていません。

 15時36分、1号機が爆発。
 鈍い、腹の底に響くような爆発音が聞こえた4〜5分後に、断熱材が引きちぎれたような黄色いものが、 双葉厚生病院、老人施設、健康施設のある一帯に降ってきました。
 中には10cmくらいある爆発の残骸もあり、「いったん屋内退避」を指示。
 役場から400mほど離れた、双葉厚生病院、老人施設、健康施設がある場所には約300人の人々が逃げ遅れていました。屋外にいた患者にはふとんをかぶせて退避させました。
井戸川さんも建物内に退避しましたが、その間、自衛隊員だけはマスクもつけず、外にいました。  40分くらい経って、黄色いゴミやチリが落ちてくることがなくなったのを確認してから、川俣町への避難を再開しました。

 空から降ってきた高レベルの放射能に身をさらされた井戸川さんは、その日の夕方から喉がイガイガして、声がまともに出なくなりました。 声帯が割れたような感覚があり、声が左右に分かれて出てくる感じがしたそうです。
 今、被曝線量を測っておかないと、後でごまかされると考え、その夜、職員2人とともに福島県立医大を訪れ、ホールボディーカウンター(WBC)の測定を受けました。 結果は、井戸川さんの体内からセシウム134、137で数万ベクレル、ヨウ素131で31万ベクレル検出されました ※1 。
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※ 1 日本放射線安全管理学会が作成した『被災地域住民及び隣接地域住民の甲状腺モニタリングのあり方について』によれば、 甲状腺からヨウ素131が10万ベクレル検出された場合、その被ばく線量(甲状腺等価線量)は337ミリシーベルトです(ヨウ素131の粒子口径を1マイクロメートルとした場合)。
井戸川さんの被ばくはその3倍、つまり、甲状腺等価線量で1000ミリシーベルト相当の被曝をしたことになります。



●「声が出ない」「喉が痛い」
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 2013年、井戸川双葉町長に対する不信任決議がなされ、辞任。その後、再度、町長選に出馬する予定で、
打ち合わせで郡山市に入った2月にも喉がキリキリと痛み、選挙の打ち合わせをあきらめ、町役場を移転した埼玉県に帰り、病院に行くと、喉から出血をしているとの診断。 その処置で、一切声が出なくなりました。
 喉が痛くなったことはあっても、出血したのは生まれて初めて。声が出ないので、町長選に出馬表明はしたものの、告示の日に辞退しました。  「声が出ない」「喉が痛い」という症状は、双葉町民からも、よく聴きました。
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● 「鼻血」を無視した新町長
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 2016年には8月10日、10月3日に双葉町に一時帰宅しました。その2度とも、双葉町からの帰りは声の出がおかしくなりました。
 また、原発事故後から、鼻血が出るようになりました。鼻の中から血がしみ出て垂れるように鼻血が出ています。 2014年当時は、夜寝るときや朝起きたときに出ましたが、最近は、食事中にも鼻血が突然出て、いつ出るかわからない状態です。
 2014年ビックコミック・スピリッツで鼻血問題が大きく取り上げられました。  「原発事故以降、鼻血がよく出るようになった」と井戸川さんが発言したことに対して、「福島が危険であるという風評被害をあおるもの」として、 佐藤雄平福島県知事、伊澤双葉町長、菅官房長官、安倍首相からもバッシングを受けました。
 しかし、岡山大学の津田敏秀教授、熊本学園大学の中地重晴教授らの疫学調査でも、双葉町の町民の健康状態で、鼻血を出す住民が オッズ比で3.8と高いことが明らかになっています ※2 。
 ちなみに、井戸川さんはこの報告の中間報告書を受け取りましたが、正式な報告書を受け取ったのは、伊澤町長です。
 伊澤町長はこの報告書を2013年の時点で読んでいるはずですが、「原因不明の鼻血等の症状を町役場に訴える町民が大勢いるという事実はありません」と、 2014年5月7日に双葉町として抗議声明を出しています。
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※2 低レベル放射線曝露と自覚症状・疾病罹患の関連に関する疫学調査
―調査対象地域3町での比較と双葉町住民内での比較
―低レベル放射線曝露と自覚症状・疾病罹患の関連に関する疫学調査プロジェクト班
2013年9月6日



● 「いつまで生きられるか」
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 井戸川さんは2011年秋ごろから心臓が止まりそうになったことが何回もあり、
その度に、自ら「落ち着け、落ち着け」と言い聞かし、危機を乗り切ってきました。
この症状は原発事故後3年経ったころから「なくなった」と言います。放射性物質が体内から出ていったからかもしれません。

 井戸川さんは、現在もある健康への違和感を次のように語ります。

 「足の付け根、太ももの辺りが、針で突き刺すような痛みを感じ、日中、突然この痛みを感じ、足を引きずることがありました。  また、夜寝ているときに足のふくらはぎを思い切り手でつかまれたように締め付けられるような痛みもありました。起きても、こらえようのない痛みで、きりきりと痛むのです」

 「原発事故から1年後、突然、平衡感覚がなくなり、立っているのかもわからなくなり、
転びそうになりましたが、検査では異常なし。
 視力はかつて2.0でしたが、視力がどんどん悪くなり続け、安定しないので眼鏡を買うことができません。乱視にもなりました」

「腕や足、手の甲には、2014年あたりから白斑が出てきました。最初は左手の甲に白い点ができ、それがだんだん大きくなり、現在は硬くなっています」

 「原発事故以降、非常に疲れるようになり、熟睡できずにいます。肉体的な影響ばかりではなく、精神的な影響もあります」と。

 そして、
「放射能をかぶったときに、俺はいつまで生きていられるんだろう、いつ死ぬのだろうかと思い、朝、目が覚めたときに、 ああ生きていたんだと思いました。そのような状態が今も続いている」と言います。

 井戸川さんは、長瀧重信、重松逸造、山下俊一の各医師や、佐藤雄平前福島県知事など、福島の放射線被曝程度では健康影響が出ないなど言う人間には、 「放射能を私と同じ量を浴びてから言え」と言いたいそうです。

 「放射線被曝による健康影響を証明するつもりはないが、いつまで生きられるのかと毎日不安にさらされる状況に追い込んだ国と、 東電の責任は追及されなければならない」という思いでいる井戸川さんは、
「あの日、防護服もマスクもなしに1号機の爆発のゴミやチリを浴びた自衛隊員の健康はどうなったのだろうか」と心配しています。 clear

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月刊『食品と暮らしの安全』2016年12月号No332
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