あくなき核兵器願望

物理学者・槌田敦氏にインタビュー(月刊『食品と暮らしの安全』2017年3月号No335掲載)


「日本政府と技術者は国民に隠れて核兵器開発を続けてきました」
戦後70年余、軍事用プルトニウムを得る画策は、今も続くと
物理学者・槌田敦氏は厳しく指摘します。

槌田 敦 氏(つちだ あつし) 物理学者、環境経済学者。
1933年生まれ。東京大学理学部物理教室助手、理化学研究所研究員、名城大学経済学部教授を経て、
現在は、反核・反原発の立場から発言し続けている。
2015年 事業者に独自に規制勧告を行う「原子力民間規制委員会」を立ち上げた。


聞き手:月刊『食品と暮らしの安全』小若順一編集長

編集部 イギリスで2020年代前半に稼働が計画されている原子力発電所の建設プロジェクトを日立製作所が受注すれば、 日本政府が1兆円規模の資金支援すると、2016年12月15日、日経新聞が報じました。
 2017年1月に日立の子会社が受注したので、1兆円を日本政府が支援するわけですが、異常に多額の金額ですね。
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槌田  日経新聞の神奈川版(13版)では「先進国の原子力事業に、日本の官民が資金と技術の両面から深く関わる異例の展開になる」 と載りましたが、都内版では「異例の展開」という言葉が削除されていました。
「異例の展開」とは、通常の商取引ではないことを示していますから、これはまずいと思ったのでしょうね。
 支援対象は日立の子会社が中部ウィルファに建設する原発2基。建設資金は約190億ポンド(約2.6兆円)で、英国が25%、日立が10%、それに日本政府による「異例の資金支援」が1兆円(38%)です。 アメリカでは自由競争によって原発がどんどん撤退しているのに、なぜ原発2基の建設資金を、日本の官民が半分も負担して、国が1兆円も出すのか。
 こんな金額をかけることは、平和利用ではないということです。
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編集部 つまり、軍事目的と?
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槌田 日本政府と技術者は、国民に隠れてこっそり、核兵器開発を続けてきました。
 もんじゅの廃炉は決まりましたが、軍事用プルトニウムを得るための画策は今も続いていて、その一環なのです。
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●まず核兵器を研究した防衛庁
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編集部 若い人は昔の事情を知らないので、日本が核兵器を開発するといっても理解できません。核開発の歴史を振り返ってください。
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槌田 日本で最初の原発は東海発電所です。
アイゼンハワー大統領の「平和のための原子力」を受けて、日本原子力発電(株)が設立され、1959年に日本はイギリスGECの黒鉛炉を購入しました。  軽水炉を買うように働きかけていたアメリカは頭にきて迫りますが、軽水炉の購入は、東海原発認可から6〜7年後になります。
天然ウラン燃料を用いた黒鉛炉は、原子炉の周辺部で濃縮度96%以上という軍用プルトニウムを生産できるのです。
 そのことをよく理解したうえで、日本政府がイギリスから黒鉛炉を購入した証拠の文書があります。 1954年7月に防衛庁が設立された後、早々と研究されたのが核兵器のつくり方です。 研究文書には、核兵器をつくるならイギリスの原子炉がいいと書いてあります。
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編集部 他国の事情を研究した論文ですか?
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槌田 いえ、日本で核兵器をつくる方法を徹底的に研究した文書です。 秘密文書のつもりだったのでしょうが、なぜか図書館で保管されていて私がコピーしたのですが、防衛庁の分析はすごいものです。
 そして政府が、防衛庁の調査どおりにイギリスから黒鉛炉を買ったのは、核兵器をつくろうとしていたからです。
 この原子炉の燃料棒は金属ウランですから、空気に触れただけで燃えます。必ず再処理をしなければなりません。
 日本で再処理する計画だったのですが、アメリカの介入で、再処理する権利はイギリスへ渡されました。
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●日本のプルトニウムで核兵器
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編集部 それでどうなったのですか?
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槌田 イギリスで再処理された軍用プルトニウムは、イギリスが購入し、核兵器に使われたのです。
 それを知ったのは、当時あった放射線を扱う労働者の会の会議です。会の中心メンバーは電力労連で、その会議に、私が理化学研究所の労働組合の委員長として出席すると、 東海発電所の副所長の講演があって、次のように話したのです。
 「私どもは2つの物を売っています。1つは皆さんもご存じの電力を売るということをしております。 もう一つはプルトニウムを売っております。ところが、最近、イギリスが買うのを渋るようになりました……」と。
 その話で、イギリスは東海発電所で出来た日本のプルトニウムで、たくさん原爆を造っていたことがわかりました。
 また、プルトニウム問題を論議する会議があり、そこにイギリスの研究者がやってきて、日本からプルトニウムを買ってイギリスで原爆を造ったことを話しています。
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編集部 そんな話は、聞いたことがありません。
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槌田 電力労連が抑えたので、この話を日本の学者たちはいっさい話題にせず、問題にしなかったからです。
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●核武装めざした原研の技術者集団
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槌田 東海発電所の副所長が嘆いたように、イギリスはプルトニウムを買う必要がなくなったのですが、日本からの要請で再処理は続けました。
 日本は再処理できなかったので、東海発電所のプルトニウムで核兵器はつくれません。
この経過に不満を持った原子力研究所(原研)の技術者集団は、軍用プルトニウムを生産するため、高速炉「常陽」の設計に着手しました。1964年のことです。
 彼らの目的は「人民政府ができたとき、核武装するため」です。
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編集部 当時の社会主義国家は「夢の実現」と思われ「ソ連が防衛のための核実験をすることは当然で、 世界大戦を阻止するための不可欠の措置」と言い、共産党系の技術者が核兵器の開発を考えていたとは、若い人は信じられないでしょうね。
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槌田 原水協(原水爆禁止日本協議会)が分裂して、1965年に原水禁(原水爆禁止日本国民会議)が結成されることになったのも、 社会主義国家の核を容認するか、いかなる核も反対するか、の論争からです。
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編集部 原研は政府機関なのに、「人民政府が…」という研究をすることができたのですか?
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槌田 研究の自由はありましたが、そのような研究が許されるはずはありません。
 ですが政府もしたたかで、概念設計ができるまで待って、その業務を動燃(動力炉・核燃料開発事業団)に移したのです。
 動燃は、動力炉と核燃料をつくるのが仕事で、高速炉の技術者はいません。そこで、原研の研究者たちを動燃に出向させ、建設させました。
 こうして、高速炉「常陽」で核兵器用のプルトニウムをつくり始めたのです。
 日本の核計画を知ったアメリカのカーター大統領は、常陽から軍用プルトニウムを生産する外周の天然ウラン燃料(ブランケット)を外させ、中性子照射実験専用の原子炉に変更させました。
 しかし、ブランケットで生産されていた軍用プルトニウムが約30s(核兵器10発程度)あり、この所有権は日本にあるので、これを取り上げることはできませんでした。
 今も日本国内に保管されているはずですが、保管場所はわかりません。
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編集部 日本が持っている48トンのプルトニウムのうち、一部は完全に軍用なわけですね。
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槌田 日本は非核三原則を掲げながら、実は軍用プルトニウムを隠し持っているわけです。
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●「もんじゅ」を手放さなかった政府
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槌田 1968年、政府は高速炉を使って発電する動力炉「もんじゅ」を、動燃に開発させることにしました。 この原子炉は、核分裂するプルトニウムの数より生成するプルトニウムの数が多いという理由で、増殖炉と呼ばれています。
 しかし、倍増するのに20年もかかるといわれ、さらに再処理で目減りするので、実際は損失になります。
 それでも建設するのは、「常陽」と同じで、ブランケットで軍用プルトニウムが得られるからです。
 この時期は世界中で高速増殖炉がブームとなっていたので、アメリカも日本の高速増殖炉を黙認するしかありませんでした。
 その後、諸外国では高速増殖炉のトラブルが続き、フランスを除いて次々と撤退していくことになります。  日本でも事故が起きました。「もんじゅ」では配管からナトリウムが漏れて大騒ぎになった事故など、 いろいろな事故があり、建設はされたものの稼働した日はわずかでした。
 けれども、軍用プルトニウムを生産したい政府は、もんじゅを手放しません。
 2010年8月には、炉内中継装置をつり上げ作業中に落下させる事故を起こし、運転できなくなりました。 炉心の中ではなかったのですが、液体ナトリウムで覆われているので、光が通らず、中が見えません。 機器の破片が原子炉容器内に残存していないか確認作業に時間がかかり、動かせないまま時間が過ぎました。 それで気が緩んだのか、点検しなければならい箇所も、点検されないなどの事態になりました。
 常陽でも、装置をぶつけて壊す事故が2007年に起きています。しかも炉の中です。
 日本での高速炉による軍用プルトニウムの生産計画は、常陽、もんじゅともに頓挫することになりました。
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●プルトニウムの生産実験が福島で
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編集部 核武装の準備にはすごくお金がかかるのにうまくいきません。 東芝が潰れかけているように、日本国もフクシマの事故で危うくなっているのに、それでも政府は、しぶとく研究を続けようとしていますね。
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槌田 常陽、もんじゅは動かないので、そこで気付いたのが沸騰水型原子炉です。
 沸騰水型原子炉は、核兵器を生産するためにアメリカのGEが開発した原子炉です。 ところが、すでに黒鉛炉が多く建設されていたので、沸騰水型は水を減速材とする発電炉として建設されることになったのです。
 本来の目的に戻って、これを使おうという声が出てきたのでしょう。
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編集部 沸騰水型原子炉で核兵器材料がつくれるなどとはどこにも書かれていません。
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槌田 私は83歳ですが、私の時代の物理学者は、沸騰水型原子炉が核兵器をつくるための原子炉ということや、 GEがその目的で、沸騰水型原発を開発したことは常識でした。
 ですが、そんな話は今に伝えられていません。そこで古文書を探しだし、沸騰水型軽水炉を用いて軍用プルトニウムを生産する方法を確認し、 定期検査に入ることになっていた東電の福島第一原発の4号機(日立製)で、東電と日立が共同して実験することにしたものと思えます。
 沸騰水型は制御棒を下から入れるので、それが地震で外れて、この実験は失敗し、臨界になって爆発したのです。
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編集部 エッ? 福島の4号機は定期点検で停止中だったと言われていますね。
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槌田 私も、初めは軍事用プルトニウムをつくっていたとは思っていなかったのですが、どうみてもそうなのです。
 事故後、4号機の使用済み核燃料プールの温度が上がりました。
 プールの水の常温は30数度ですが、3月17日には84℃、23 日には91℃、24日には100℃ と上昇しています。
 その熱はどこから来たのか……です。 3月28日にアメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴで硫黄35が検出されています。
硫黄35は、塩素35に中性子があたると生成されるので、3月28日以前に日本で、膨大な数の中性子によって生成されたことになります。
 では、塩水を入れたのはいつかということですが、福島第一原発の臨界事故は、3号機と4号機で起こりました。
 3号機では、2011年3月14日11時、使用済み燃料プールで爆発があり、垂直に200m吹き上げました。
 4号機の核爆発はこれと異なります。
 ふたを開けている状態で実験していたので、臨界状態で水が沸騰し、水深20mの炉の水を噴き上げて、15日6時に爆発し、屋根と壁の大半が吹き飛びました。
 翌日以後も爆発が続き、残された墜や天井は次々とはがれ落ちたのです。
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編集部 4号機で軍用プルトニウムの生産実験をしていたとは、にわかには信じられません。
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槌田 そんなことがわかったら大変なので、報道管制し、関心をそらすために、いろいろな情報が流されました。
 例えば、建物が傾いているとか、1500本の燃料集合体を入れたから重くて底が抜けるのではないかなどと、みんなの関心を外へ外へ向けさせていきました。 そういうことをする中に、彼らの秘密があります。
 2012年7月に、未使用の燃料本体が取り出され、東電のホームページの作業の映像では、人物にぼかしが入っています。
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編集部 「個人のプライバシーに関わる情報が掲載されていたため」と説明が入っていますが、 全面マスクで顔は見えないのに、あえてぼかしを入れているのは不思議ですね。東電の公開写真で、人の顔にぼかしが入っているのを見たことはありませんから。
 軍用プルトニウムの生産に「蓋を開けている状態で実験」とはどういうことですか?
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槌田 沸騰水型軽水炉の軍用プルトニウム生産は、天然ウランに中性子を照射するとき、蓋をあけっぱなしで行って、 すぐ取り出せることがメリットなのです。
 蓋が開いていたことは、4号炉の蓋が原子炉の側に置かれていたことで明らかです。蓋を開けていても、水が深いから中性子は出てきません。
 この論に反対する人たちがいます。日本の原子炉は蓋を開けたまま運転できないと。
 しかし、規則で禁止されていても無視すればいいし、運転できない装置が付いているなら、装置を外せば済むことです。
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編集部 槌田先生は、「沸騰水型軽水炉で軍用プルトニウム生産」と主張されていました。 再び日本で実験することはやりにくくなるでしょうね。
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槌田 疑惑を持たれたらできないでしょう。
そこで、沸騰水型軽水炉の日英共同開発となります。原子力の軍事利用について、日本の官民の資金と技術をイギリスに持ち込み、イギリスで開発を進めるわけです。
 「異例の資金と技術の支援」は、イギリスに対する日本の軍事援助でもあります。
 「原子力の平和利用」という約束に違反するので、許されることではありません。
 沸騰水型原子炉は、核兵器用プルトニウムをつくれます。
 ですから、私が呼び掛けて設立した市民団体の「原子力民間規制員会」では、日本国内で核兵器材料の生産を禁止する法制措置をつくることと、 外国への沸騰水型原子炉の販売を禁止するように活動しています。
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月刊『食品と暮らしの安全』2017年3月号No335 槌田敦先生のインタビュー
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