代表小若順一が「安全基金の活動と考え方」を月刊誌『食品と暮らしの安全』に連載中!
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三無主義−無思想・無節操・無定見 安全基金の活動と考え方(6)

食品と暮らしの安全基金代表 小若順一

 安全基金を設立して活動を始めたばかりのころ、私は「野口体操」と出会い、考え方がどんどん変化していきました。すると、仲間と話が合わないことが多くなります。
机を借りていた市民運動全国センターのスタッフと話していたら、野口三千三先生の考え方を取り入れた活動を、「それなら、無思想、無節操、無定見じゃあないか」と揶揄されたのです。
私は、その3つが気に入って「三無主義」と称するようになりました。

無思想、無節操、無定見は、現代日本の価値観では「ダメ」の象徴でしょう。
「思想がないのに、市民運動?」
「節操がなければ、市民運動はできない!」
「前の意見と変わっているではないか!」
市民運動家からも、このような批判が次々と出てきました。ところが私は、良心は少し必要ですが、後は、好きなことだけをしているのがいいと思っています。

三無主義は人類の知恵を否定すると批判する人もいますが、これは的外れの批判です。私は、原則と例外の違いを見極めて、原則に従うことを基本にしなければ、いい結果は生まれにくいと言っているわけです。
思想、節操、定見を強調する人で、実績を上げている人が少ないのは、それが生きる原則に反しているからだと思います。

 生命が誕生して30億年、人類の祖先が誕生してからでも700万年といわれるのに、「思想」が生まれたのは数千年前。思想がなくて適者生存競争を行ってきたのが生命の長い歴史ですから、人間が生きるのに思想が必要と思うのは間違っています。
「節操」などなくても、十分によく恥をかいています。「美味しい!」と感動した食事に「味の素」が入っていることはよくあること。笑ってごまかすしかないではありませんか。
以前言ったことと違う意見を言うと、なじる人がいます。でも、事態が変われば、結論が違ってくるのは当たり前のこと。物理や数学は別として、社会にかかわることは時間とともに事態が変わるので、いつも同じ結論になる方が不思議なのです。
生きている限り、違った発言をしていくのが当たり前なのに、それがおかしいと言われてもね、というところです。
歌手が歌を歌ったり、宗教で祈りをとなえるように、同じ言葉を言うのに価値がある場合は、そうすべきです。しかし、自分の意見を言う場合は、状況の変化に従って意見を変えていくのが原則です。

市民団体の発言は、新しい視点がないと無視されます。提案内容を考えるとき、思想に基づくと陳腐になりますし、節操があると当たり前になりますし、定見があると改めて言うに値しない内容になります。
無思想、無節操、無定見の「三無主義」で考える方が、問題に対して新しい視点を出しやすいと、私は思っています。

 次回は、「反対の意見表明」について書きます。


2006年6月1日発行 No.206より

安全基金の活動と考え方(7)「反対の意見表明について」

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