代表小若順一が月刊誌に連載していた「安全基金の活動と考え方」です。
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「25周年記念講演A 安全性は時代によって変わる」
安全基金の活動と考え方(41)

食品と暮らしの安全基金代表 小若順一


 「毒性の時代は終わった。小若君、どうするかね」と外村晶先生に言われたのは、日本子孫基金の活動を始めて2年目か3年目の合宿の深夜でした。 運動を始めたばかりなのに、もう終わりと言われたのには弱りました。
 1979年に「遺伝毒性を考える集い」が開いたシンポジウム「法律でどこまで子孫を守ることができるか」で、 加藤一郎・元東京大学学長が「コスト・ベネフィット(利益)分析が必要」と強調していて、 それは「リスクベネフィット分析とも言う」としています(『愛する1000年先の子供たちへ』日本子孫基金編・1985年刊に収録)。
 やはり今考えても、時代が変わり、発ガン性が見つかっただけで禁止されていたのが、80年代にかけて、リスクベネフィット分析の時代に変っていきました。 1989年に日本子孫基金が発行した『変わる発ガン性能農薬規制』では、発ガン性のある農薬が何人のアメリカ人にガンを発生させているか、個々のリスク分析を紹介し、解説を載せています。 こうして、遺伝毒性を見つけても禁止されない時代に入ったので、私たちも化学物質への取り組み方が多様になっていきます。
 水道資材の置き場を見て、水道管の内側にコールタールやアスファルトが塗られているのを発見したのが1987年です。 古典的な2つの発ガン物質を塗ることが、JIS規格で義務付けられていたのですが、テレビと国会で取り上げてもらうと、これは業界の方も抵抗せず、すぐに規格を変更するという返答が得られました。 こうして、水道管の内面塗料としてエポキシ樹脂が用いられることになったのです。 ところが10年後に、この物質を環境ホルモンと批判することになるのですが、当時は夢にもそんなことは思いませんでした。
 私たちの代表的な業績であるポストハーベスト農薬に取り組み始めたのは1987年です。 「輸入レモンから検出されるカビ防止剤のDP、OPP、TBZなどの違法食品添加物が、アメリカでは農薬でポストハーベストとして扱われている」と聞いたのは、 1977年ごろだったと思いますが、どんな農薬がどんな農作物に使われているか、当時は全容が明らかになっていませんでした。 そこで、アメリカ連邦規則でルールの全容を明らかにしたのが1988年2月です。89年からは現地取材を行い始めました。 その頃、横浜国立大学の加藤龍夫教授の薫陶を受けて、たくさん検査して汚染の実態を明らかにしていくと、汚染が減っていくことを体験しました。 農薬が、基準の100分の1残留しているものと、1000分の1残留しているものがあると、違反ではなくとも、1000分の1の方を大多数の人は選ぶのです。
 こうしてポストハーベスト農薬の現地取材と、残留検査を行いながら、95年ぐらいまでビデオを制作したり、本を書いたりしていました。


2009年5月1日発行 No.241より

安全基金の活動と考え方(42)「25周年記念講演B室内の空気汚染が危ない」

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