TOP

なくそうPCB

PCBとは

世界中を汚染

なぜ汚染は止まらないのか

2002年 PCB シンポジウム(日本)

2003年 PCB シンポジウム(マレーシア)

日本子孫基金とは

地球環境基金について

参考文献
PCBとは

PCBの製造、そして禁止までの道のり
| 前へ | 一覧 | 次へ |


大量に生産され今もなお汚染が続くPCB
     PCBを合成した報告(1881年)がされてから、約50年後の1929年、米国のスワン社(後にモンサント社と合併)によって、本格的にPCBの工業的な生産が始まりました。その後、世界各国でも様々な商品名で生産・使用されました。1929年から1989年にかけて、世界で(旧ソ連を除く)、約100万トン以上ものPCBが生産されたと見積もられています(UNEP, 2002)。

      生産が始まった頃から、PCBが製造労働者に与える影響や環境中への残留など、PCBの持つマイナス面が指摘はされていたものの、禁止されることはありませんでした。ところが、1968年に、日本でカネミ油症事件が発生したことをきっかけに、PCBの毒性が社会問題となり、1970年代から1980年代にかけて、先進国で規制されました。現在では、ほとんどの国でPCBの生産は行われていませんが、禁止以前に作られたPCBは未だに使われており、汚染は続いています。


PCBを含めた汚染物質に関する国際的な動き

     PCB廃棄物の処分は各国で問題となっています。発展途上国に輸出され、現地の環境汚染を引き起こしている例も存在します。国際的にこのような流れを止めるために1989年に成立したバーゼル条約(有害な廃棄物の国際間の移動を規制する条約)や1998年に成立したロッテルダム条約(輸出国で、使用・製造が禁止されたり、制限されている有害化学物質を輸出する際に、正確な情報を伝え、事前に輸入国の意志を確認することを定めた条約)の中で、PCBも条約の対象物質として盛り込まれています。

      さらに、世界的にもPCBのようなPOPs(残留性有機汚染物質)汚染を廃絶する動きが高まり、2000年12月には、ヨハネスブルグでPOPs条約案が合意。翌年5月、ストックホルムで採択され、ストックホルム条約と呼ばれています。この条約は、締結国が50カ国を超えると発効となり、発効によって、各国のPCB処理がさらに進むことが期待されます。


    PCB問題の経緯

    1881 PCB合成の報告
    1929
    米国スワン社(後にモンサント社に合併)が生産開始
    1968
    日本でカネミ油症事件発生
    1979
    台湾で油症事件発生
    70〜80年代
    世界各国でPCBの生産が禁止(使用は続く)
    1989
    "バーゼル条約採択
    (有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約:92年5月5日に発効)"
    "先進諸国から発展途上国へのPCBなど有害な廃棄物の輸出を規制する条約。
    有害廃棄物の輸出に際しての許可制、事前通告、不適切な輸出などについて規定。
    151カ国が締結(2002年6月現在)。"
    1995
    ワシントン宣言
    POPs削減のための行動、排出規制等の手段の確立のために行動することを明記した宣言。約100カ国の参加国によって、この宣言と「世界行動計画」が採択された。
    1996
    ECの指令(EC96/59)
    EU加盟国で、PCBを2010年までに段階的に禁止が決定。
    1998
    ロッテルダム条約採択
    "輸出国で使用・製造が禁止、制限された化学物質の輸出の際に、事前に輸入国の意志を確認することを盛り込んだ条約。
    条約発効には、50カ国の締結が必要。"
    2001
    "ストックホルム条約採択
    (POPs条約)"
    "POPsの廃絶、または生産・使用を制限するための条約。PCBについては、2025年までにPCBが含まれた全ての機器の使用を中止することが、記載されている。
    条約発効には、50カ国の締結が必要。"
    POPs:残留性有機汚染物質の総称。PCBもPOPsである。その他に、農薬のDDTやアルドリン、ディルドリン、非意図的生成物のダイオキシン、フランなども含まれる。

 
| 前へ | 一覧 | 次へ |


Copyright(C) 2003 日本子孫基金, All Rights Reserved.
Supported by 地球環境基金